広島カープと私(1) (弁護士 兒 玉 修 一)

 私のカープファン歴は年齢と同じですので、既に半世紀を超えています。低迷期の長い球団ですので、楽しい思い出よりも、辛い思い出の方が多いのはやむを得ません。
 私の生まれは広島ですが、子どもの頃は神奈川の片田舎で生活しておりました。周囲の子どもの8割は巨人ファンで、残りの2割が横浜大洋や阪神、さらにパリーグのファンという感じでした。家族以外のカープファンに、初めて会ったのは高校入学後です。ちなみに、その彼は野球部のエースでしたが、広島には縁もゆかりもなく、ただ北別府学の投球をみてカープのファンになったそうです。すごい。
 当時、北別府学はカープのエースでした。他にも、高橋慶彦や大野豊、川口和久、津田恒実などの選手がきら星のごとくおり、山本浩二と衣笠祥雄は別格でした。さらに、江夏豊や山崎隆造、木下富雄、達川光男など。今、あらためて当時の写真をみると、皆、いわゆる「おっさん」ばかりなんですが、当時は、とにかく格好良くて、私にとっては大スターでしたし、今でも変わりません。
 もちろん「聖地」は、テレビで見るとちょっと薄暗く古ぼけた感じの広島市民球場で、一度、叔父さんにお願いして、連れて行ってもらったことがあります。やはりお世辞にもキレイな球場ではありませんでしたが、最高でした。「広島市民球場で、カープの応援ができた」ということだけで嬉しすぎて、対戦相手も勝敗もよく覚えていません。
 さて、今年のカープは、戦力的にはちょっと厳しいけれども、新井監督の下、よく戦っています。私はと言えば、カープと新井監督を応援する意味を込めて、「25」のナンバープレートをつけた赤いクルマに乗ることにしました。
 私もいい年齢となり、近所の阪神ファンの子ども達をみると、「今年こそ阪神の優勝がみれたらいいのにな。よろこぶやろな」という思いも生まれるのですが、「イヤ、いかんいかん。甘やかしては子ども達のためにならない。今年こそやっぱりカープが優勝やろ」と心を鬼してカープを応援しています。