市長の議員に対する名誉棄損とカイワレ大根事件(弁護士 井上泰幸)

1 はじめに

 地方議会の議員が市職員や市長を恫喝したとして、その旨を市長が記者会見で公表し、さらにその後政治倫理審査会に諮問し、その答申結果を公表しました。これにより議員から市に対して市長の行為により名誉棄損を理由として国家賠償請求をしました。

2 一般的な名誉毀損の違法性阻却事由の判断枠組み

 一般の名誉毀損においては、私人の表現の自由(憲法21条1項)の保障の観点から、「民事上の不法行為たる名誉棄損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である」(最判昭和41年6月23日民集20巻5号1118頁)として、①事実の真実性もしくは真実相当性、②公共性、③公益目的の要件を満たす場合、違法性が阻却されます。

3 カイワレ大根事件

 行政機関による公表行為の場合には、そもそも行政機関は表現の自由の享有主体ではなく、表現の自由は観念できません。他方で、行政による公表行為の場合、誤報の内容如何によっては、公表対象者に対し、取り返しのつかないダメージを与えるものです。

 そこで、行政機関による公表の場合「真実性・真実相当性の法理のような定義的な衡量ではなく、公表内容の真実性・公表の必要性・公表方法の相当性等を総合衡量して違法性阻却の可否を個別に厳格に検討するのがよい」と考えられます。

 大阪府堺市で発生した病原菌O-157による学童の集団下痢症について、その原因食材がカイワレ大根であるとした厚生省の発表によりカイワレ大根の生産者の名誉・信用を毀損したとして国に対して損害賠償を求めたいわゆるカイワレ大根事件(大阪高判平成16年2月19日訟務月報53巻2号541頁、大阪地判平成14年3月15日判タ1104号86頁)でも同様の趣旨の判断がされています。違法性の有無の判断にあたっては、「公表の目的の正当性、公表内容の性質、その真実性、公表方法・態様、公表の必要性と緊急性等を踏まえて、公表することが真に必要であったか否かを検討し、その際、公表することによる利益と公表することによる不利益とを比較衡量し、その公表が正当な目的のための相当な手段といえるかどうかを検討すべきである。そして、公表によってもたらされる利益があっても、生じる不利益を犠牲にすることについて正当化できる相当な理由がなければ、違法であると判断せざるを得ない」と判示されています。

4 本件における考察

 本件においても議員の代理人として、上記の考え方をもとに市長の公表行為の違法性を主張しました。裁判所においてもこの枠組みを採用して市長の名誉棄損を認めました(大阪高等裁判所令和7年7月30日、奈良地方裁判所令和7年1月16日)。

 行政機関による公表行為には私人による公表行為とは異なる違法性判断枠組みが適用されます。近年は地方自治体における議会と首長の関係性が問題となる事案が時事的にも増えているように思います。名誉棄損は損害賠償が基本となります。もっとも名誉棄損という違法行為が認定されても、裁判所が認める慰謝料は低額であるため、今後は慰謝料の高額化(ただし議員の名誉棄損においてはお金が目的ではなくこれでは救済が図れないという問題はあります)、謝罪広告を柔軟に認めることで侵害された側の救済が図られる必要があるのではないでしょうか。